シンプルに考える

自分が面白いと思ったものに、「もっと評価されるべき」タグをつける人は、「俺が面白いと感じたものは、みんなも面白いと感じるはずだ」あるいは、「みんなが面白いと感じるものは、俺も面白いと感じる」と考えてそう。おそらく、ランキング上位が気になる人も同じだろう。

というような分析について話をしていたら、「なんちゃらよーわからんが難しく考えすぎ。単に標語だろう」と言われた。

あと、責任が無い人とか、第三者の意見に対して、それが妥当かどうかの判断をせずに(してるのかもしんないけど)「じゃあお前がやれよ」と言ってしまう人は、なにをどう考えているのか?を分析しようとしたら、「(わざわざ考えるまでもなく)民族性だ。もっとシンプルに考えたら」と言われた。

カニズムを意識するのはものを作るために重要だし(その標語がなぜ標語たりえるのか、を考えないコピーライターはいないだろう)、第三者の意見を受け入れることは独り善がりにならないために重要なわけで、こういうことを言われるとやるせない気分になってしまう。他にも、エンジニアにとってメカニズムについてのどうたらこうたら、と御託を並べることはいくらでもできるが、やるせない気分になった最大の理由は、実際のところ、自分の楽しみを共有できなかったからだとは思う。

うーん。ここから教訓を見いだすとしたら……

  • 議論をふっかけるときは、前提(問題意識の共有)を確認すべし

かなぁ。といいつつ、この文章ではあまり問題意識を明確にしてないけど。

彼のいう「シンプルに考える」が何を意味するのかいまいち分からないんだけど、たとえばこの例をもって、「あいつとは話してもしょうがない」と判断するのがシンプルに考えるってこと……ではないよね?

確かに僕自身、理屈っぽい人であるとは思うけど、そうでない人たちは、他人の思考をどのように理解し、共有するのだろう。それをどうやって言語化するの?想像できない。僕はそこらへんの(僕にはうまく知覚できない)能力が欠けてるんだよなぁ。うまく両者を橋渡ししてくれる人がいると有り難いんだけど。